某所で特集されていた20世紀末の山陰本線の記録は、高校生だった私の心を大きく震え上がらせた。行き交う列車は国鉄型ばかり、キハ181のおきを筆頭として、キハ58やDD51が数々の名舞台を駆け抜けた姿には心底驚かされた。しかし、山陰地区の大部分において高速化工事が行われた後に置き換えが進行。今現在、多くの名舞台を駆け抜ける列車は新型車両が大半となっていた。そう、撮り鉄を始めた頃には、山陽本線は”死んでいた”のだ。
それでも、私は諦めなかった。大学1回生の時には朝のヨンマルを狙いに田儀界隈に点在するスポットで朝夕限定のヨンマルを迎撃し、2回生の時にはサンタマで迎撃した。本数が限られた徒歩鉄の中で、随分頑張っていたと思う。
それほど山陰地区は私にとって乗り鉄の原風景を思い出させてくれる、「偉大なるローカル線」であった。そして大学3回生の今年、平成最後の夏に奇跡は起こった。山陽本線不通により、山陰地区に貨物列車が走るというのだ!高校生の時に廃止になり、岡見貨物を見ることすら叶わなかった屈辱を果たすことができる!狂喜乱舞せずには居られず、単独行にて山陰へと向かった。
夜行バスで降り立った出雲の空には薄雲が広がっていた。悩みつつも、大定番・オダタギへと向かう。到着は通過3時間前。ベストと思う立ち位置に陣取り、通過を待つ。野次馬夫婦に心底冷や汗をかきつつも、最高の条件で列車は通過。この山陰遠征における唯一の晴れカットであったが、この一枚だけでも40k払った価値はあった…そう思わずにはいられなかった。