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2017.07.14 23:54 中央本線:新宿駅 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-800)

 夏の足音が聞こえてくる7月。今年は大本営気象庁から梅雨明け宣言が早々に発表されたものの、資金繰りの問題からバイトに没入するばかりの日々を送っている。学生の使えるお金には限りがある。全国に残る昭和の薫りを探しに行脚したいのは山々だが、そればっかりで機材の更新が停滞してはお話にならない。いいバランスを取りつつ盛夏を待つのがこの時期の恒例である。

 去年のこの時期は、例に漏れずバイトに没入していた。まだまだ梅雨が続いており昼間に戦果を得られる状況ではなかった。週5回バイトをねじ込み、死んだ目をしながらカメラの資金を稼いでいた。その合間を縫って、私は新宿駅の”夜遊び”へと出掛けた。相対するは189系長野車で運行される夜行列車「ムーンライト信州」。まだ豊田車が生き残っていたこの頃、毎週金曜深夜にやってくるにも関わらずそれほど注目を浴びる被写体ではなかった。次第と乗車前に記念撮影を楽しむ同業者が自分の座席へと向かい、ホームが閑散としてくる。まもなく発車メロディーがなり、主務者が合図を送る。特急型の旅立ちに相応しいワンシーンを、一人見送った。

 そんな閑散としていたML信州であったが、今年のゴールデンウィークの運転では阿鼻叫喚の大混雑であった。飲み会後のリーマンが行き交う大ターミナルに佇む、あの閑静なひとときを愉しむことはもうできないのだろうか。そう悲嘆に暮れずにはいられない。

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2016.08.26 19:23 山陰本線:戸田小浜駅 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 肌を黒くして外を歩き回り、シャツを絞れるくらいに汗を垂れ流しVカットを収める…今年も夏休暇がやってきた。身を粉にして働いたバイトの給料で出撃し放題。Canonシステムにも新たなる戦力を配備して、いざ全国を駆け巡る――そんな妄想を頭に描いて待ち侘びた!

 懐かしき大学一回生の夏、訪れたのは山陰本線に残るヨンマルであった。この日は太宰府(信)で昼間の貨物を撮った後、宿泊場所の出雲市に向けて半日掛けて18キッパーしていた。厚狭から美祢線に乗車し長門市へと向かったが、途中の大嶺辺りから雨が本降りになり始めた。終点に着く手前の峠でゲリラ豪雨となり、列車は徐行を余儀なくされた。長門市での乗り換えも短く、乗り換え後即発車の様相であった。

 だがしかし、どうやら美祢線よりも山陰本線の萩近辺の方が重症だったらしい。単線であったこともあり、途中の木与駅で長らくの列車の交換待ち。雨上がりの水たまりがそこらに出来ている。10分少々停車した後、汽車は終点の益田へと向けて動き出したが、終着一つ手前の戸田小浜でまたも列車の交換待ち。これはため息うんざりである。

 気晴らしにでも列車の外に出てみる。すると、憂鬱だった心持ちが逆転する。駅の雰囲気がとてもレトロチックだ。夜の帳がほぼ落ちた小駅に佇む、タラコキハの堂々たる佇まいは我が心を奪い去った。三脚と7DⅡを引っ張り出し、様々な構図でこの駅の情景を切り取る。無我夢中でカットを量産したのを昨日のことのように覚えている。

 しかし、楽しい時間は唐突に終わりを迎えた。対岸のホームで撮影をしていた時、停車中のタラコのタイフォンが短く響いた。ふと感付いて後ろを振り向くと、ヘッドライトの光が益田方の線路の果てに小さく見えた。”戸田小浜劇場”はこれにて終劇となったのだった。

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2016.09.10 14:52 信越本線:米山~笠島 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 あまり条件を調べずに「信越海線と海岸線を撮りたいから」という理由だけで米山駅へと降り立った。朝寝坊して幹課金してわざわざやってきたのはド逆光の米山俯瞰。今思い返すと光線の下調べを疎かにしていたのは明らかだったが、実際にお立ち台に立ってみると撮れないこともなさそうである。遠く海岸線まで光る海に逆光で煌めく鉄路、そしてJK色の115系。絶妙な調和をもってシャッターを押し込んだ。

 今考えれば、あの時代は増えつつある塗装バリエーションと運用の数がマッチしていた時代であった。今、この鉄路を昼過ぎに通過する列車は新型に置き換えられた。信越海線を運行する115は今や3371Mと3374Mの一往復だけ。6運用のうち1運用だけでも残ったことに感謝すべきなのだろうか。兎に角、僅か6運用へと数を減らした新潟の115を懸命に追い掛けることが今の至上命題なのであろう。

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2017.10.21 12:12 上越線:水上駅 (Canon7DmarkⅡ EF24-70mm F4L IS USM ISO-200)

 2017年、あの年はとにかく原色が枯渇していた時期であったと思う。JR貨物のEF64はすべて牛乳パックで、EF65も特別仕様の2139だけだった。今や大宮で続々と塗り替えられてレアリティがガンガン低下しているが、あの時期は本当に苦しい時期だったと思う。

 そんな”原色ガマ大不況”のさなか実施された高崎支社のイベントが凄まじかった。運転区間は高崎~水上と普段のSLと同じであったが、なんとEF64の原色重連+12系という組み合わせでの運行である!全く晴れないドン曇りではあったが、こんなネタは二度と無いということでけーば氏のクルマでお出かけすることになった。まず一発目は津久田のSで迎撃するものの被られて爆死。沼田の10分停で抜き返して諏訪峡へとなだれ込んだものの、既に現場は100Bを超える大盛況。適当に流して水上駅前へ駐車。今回は入換が到着直後らしい。既に客車からは切り離されており、湯沢側から甲高いホイッスルが聞こえた。来るぞ、と言わんばかりの緊張感が蔓延する。客車の向こうよりゆっくりとロクヨンコンビが現れた。

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2017.11.21 13:37 中央本線:富士見~信濃境 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-200)

 10月下旬、JR東日本からプレスリリースが出された――『スーパーあずさへの新型車両投入について』――遂に、E351系スーパーあずさの置き換えがスタートする。思えば、量産先行車が試運転を開始したのは2014年のこと。余命宣告から長い猶予が与えられたが、いよいよ馴染みの中央本線が消えていってしまうようだ。

 大学の期末試験が終了し、貴重なクォーター休みとなった。前日晩にみどりの窓口で買った学割乗車券を片手に、平日の中央本線を西へと向かう。甲府盆地を抜けて、快晴の八ヶ岳山麓・小淵沢へ辿り着いた。早朝の列車は長坂カーブで迎撃。初冠雪して間もない八ヶ岳と紅葉のコラボが実に美しい。そして、この日のメインディッシュ:富士見鉄橋へと向かった。普通の紅葉と侮るなかれ、高山帯のみに生育するカラマツを背景に編成撮りができるのだ。多少時期が遅れたので幹がかなり見えてしまっているが、ギリギリ許容範囲だろう。通過時刻までもう少し。天気はピーカン、LED幕が表示勝ちすればこっちのものだ、と祈りを捧げる。俄に、向こうのトンネル付近の木々が動き始めた。現れたE351系は最期となる錦秋の渓谷を渡り抜け、トンネルへと吸い込まれていった。

 E351系を線路端で見送ったのはこの機会が最後だった。あれから間もなく一年。先日E353系への統一を発表するプレスリリースが出され、それと同時にE257系の中央特急引退が今年度中で確定した。幼い頃、この線区で散々お世話になった115系や201系は既に鬼籍入りしてしまっている。間もなく幼き時代から馴染み深い中央本線に、サヨナラを告げねばならないようだ。

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2017.12.31 17:56 上越線:高崎駅 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-1250)

 大晦日の日は始発に乗車して上越線の撮影に出かける予定であった…が、起床したところ既に10時頃と余裕の寝坊をかましてしまった。一昨年の夏に同様の案件で寝坊した際には幹課金して追い掛けたが、そこまでして行きたいかと言われればNoであった。同行者であったぬ氏には申し訳無いが、年内最後の朝を悠々と過ごした。

 午後に家を発ち、合流地に指定した高崎駅へと向かう。川越から東上線でのんびり北上し、寄居から八高線のキハへ。途中外国人に本庄駅への行き方を尋ねられ、なんとか答える。「Thank you!」という言葉と共に倉賀野駅で乗り換えてもらい、一息ついた。さてと、終わりがいよいよ見えてきた高崎の115を撮ろうではないか。

 高崎地区の115系の末期であったこの頃。かつて縦横無尽に上野の国を走っていた面影は無く、指折りで数える程しか残っていなかった。前面幕も初夏に埋められ、撮るに足らない姿になってしまった今、どう撮るべきか考えあぐねていた。幕をギリギリでカットしたり、側面を重視したり、流したり…

 そう条件が縛られながらも撮影できていた間は幸せだったのかもしれない。今、高崎に行ってもカボチャ電車は居ない。ステンレスの211系もカッコいいことにはカッコいいが、この古めかしい魅力を兼ね備えては居ない…そう思い返す今年の年の暮れである。

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2018.01.02 12:18 いすみ鉄道いすみ線:西畑~総元 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-200)

 寝正月では勿体無い!時間の許す限り出撃あるのみ!…そう信じて已まなかった一年前の正月は、ヘッドマークがガチャ仕様になっているいすみ鉄道へと赴いた。始発で房総半島を目指し、朝一番の快速から早速撮影を始める。関東ならではの冬晴れの下、Vカットを次々とキメていった。

 そしてこの日のメインアングルと決め込んでいた西畑のストレートへと向かう。今まで気動車を撮影したことが皆無な私にとって、列車の高さがあまり読めず経験不足を感じたがなんとかセッティング。前走りの普電を見送り、いよいよキハ58急行の本番である。踏切が鳴り始め、見えたッ!ヘッドマークは…勝ちだ!急行『犬吠』である。房総方面の急行名称は総じてダサいが、これだけは別格である。勝利の味わいを噛み締めながら、次の面縦へと向かった。

 しかし次の西畑入線では、1月ならではの早々たる影落ち&HMが台座のみという負け条件で来たので無かったことに…丸一日費やした割にはなんとも言い難い結果に落ち着いたのであった。今年は寝正月をしたいところだが、生憎元旦は徹夜で京都の寺社めぐり…家に引き篭もりたくて仕方ないところである。

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2018.02.09 13:55 しなの鉄道しなの鉄道線:信濃追分~御代田 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-400)

 2017年を境にして、しなの鉄道に次々と復刻塗装が登場。169系の引退以降、見向きもされなかった信州の鉄路に再び注目が集まった。東京から程よい距離にあるが故、手軽に訪れることができるのが非常に良いところである。この日もN102のおはようライナーを稲荷山でやっつけてから、のんびりと軽井沢へと向かった。

 信濃追分で降りて信濃追分の浅間山バックに向かい、牧場前の公道に構える…が、近隣のペットホテルの主が公道はダメだという(飼っている動物が飛び出てくるとか)。逆に、休耕している周辺の畑になら構えていいらしい。同じ長野でも安曇野の地主とは全く正反対だなあと思いつつ構え直す。が、流石に指導が入るのが直前すぎた。湘南色はケツ切れでゴミ箱行きとなってしまった。

 次のスカ色まで時間が十二分にあるので構え直し、ド定番のカットを収めたがどうもアス比が合わない。ならアップで撮るのはアリではないだろうか?順光よりは面のみ順光のほうが国鉄型特有のマスクが強調されるはずだ…同じ場所で待つこと3時間、理想どおりのカットを連写で切り落とした。

 そんな冬からもう既に1年。そろそろしなの鉄道詣でをしたいところであるが…なかなか日程が合わないのが憎いところである。

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2018.03.03 21:00 越後線:新潟駅 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-1000)

 ちょうど一年前、合宿免許の交通費でオトクに旅行しよう!という謎企画が催行された。東京~山形の往復交通費を使って楽しもう!という魂胆である。当然他の参加者は推奨の新幹線で来ていたが、そんなことはお構いなく大回りして向かったのだ。

 山形へ向かうので長野まで高速バスに乗り、バリ晴れの北しなの線を撮影。その後特急で新潟まで移動したのだった。まだその当時にTHE・昭和という雰囲気のターミナル駅である地上時代であった。残りの余命が幾許も無いホームの扱いは雑に扱われ、シミが多く残る床に小汚い階段が更に雰囲気を濃くさせた。

 そんな最期の活躍を見せている地上・新潟駅の雰囲気をとにかく取り込んで撮影したい!そう思い至り、同行のぬ氏を放置して様々な視点で切り取った。そのうちの一枚が発車ベルを押し込むシーンである。少し寄り掛かりながら押し込む車掌。一見すると少し気怠さをも感じる動作に、この薄汚い駅が絶妙にマッチした…そう感じた。

 半年後、再びこの駅を訪れたがメインの旧1~4番ホームは解体工事の真っ最中。また一つ消えゆく昭和の薫りに哀愁を感じずにはいられなかった。

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2017.04.23 14:43 上毛電気鉄道:江木~大胡 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 写真を愛する者ならば、お気に入りの写真というものを何枚か持ち合わせていると思う。条件が良かっただとか構図が好み…など、様々な理由があるものもあれば、なんとなく気に入っているというものもある。中には、他者に理解されるものも理解されないものもある。でも気に入っているんだから仕方ないのだ。

 もうかれこれ2年前に撮影したが、未だにお気に入りの一つに挙げられるのがこの上毛デハの写真である。お気に入りの理由は幾つか挙げられるが、特に好みな点としては構図が綺麗に決まっているところである。まずは線路面に被るくらい手前に大きく前ボケで菜の花を入れて、背景には赤城山を小さめに配置、そして余ったスペースに入り込むデハ…これらの要素が絶妙に組み合わさっている。構図の制約がかなり大きい鉄道写真において、ここまで上手くいった例はこれが初めてであった。

 これ以降様々な鉄道写真を撮影してきたが、構図の原点とも言えるのは今でもこれである。そろそろこれから脱皮せねば…と思う頃でもあるが、やはりお気に入りは中々捨てがたいのである。

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2018.05.24 19:50 東急池上線:池上駅 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-400)

 大学の近くを走りながら、長いこと訪ねることの無かった"昭和”があった…イケタマの古豪7700だ。都心の大動脈・山手線に直接接続している路線ながら両数は僅か3両。まさに「都会のローカル線」という異名が相応しい路線である。

 その7700の引退が差し迫っているという情報を聞きつけ重い腰を上げた。まずは手始めに石川台近辺で編成写真を収めた。そしてもう一箇所収めたかったのが池上駅である。この駅は東急最後の構内踏切が残っている駅で、それも近々予定されている橋上駅舎化で廃止されるとのこと。また、着工はしているものの大掛かりな工事には入ってない様子。自分の感性がここだ、と告げ何度かに渡って通うことになった。

 そして10月前後に引退を迎え、引退した彼らは遠く西の地へと送られた。また、以前より工事が進んでおり、池上駅の五反田行きホームの白塗り屋根は無残にも半壊している様子。もう池上駅に写真を撮りに行くことは無いだろう…そう1年前を思い返すのである。

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2017.06.14 14:29 衣浦臨海鉄道碧南線:高浜市~東浦 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 梅雨入り直前はよく晴れる。夏空特有のヌケの良い空に、早い日の出のおかげで戦果を量産しまくれる時期だ。2年前のこの時期にはフラッと人権皆無の夜行バスで名古屋に向かった。狙うは中京圏を縦横無尽に走る多彩な貨物列車群である。朝方はキリン踏切で石油貨物を迎撃し、碧南で衣浦重連を面縦。再び名古屋に戻り石灰貨物を撮影して杁中で登山した。そして午後の本命は衣浦湾に掛かる鉄橋である。

 東浦の駅から初夏特有の涼風吹く暑い日差しの中小一時間歩き、堤防の上を伝って行くと緑色のトラスが見えてきた。時間に多少余裕があったのでのんびりと日なたぼっこをしながら待つ。そしてあっという間に14時半、赤いデーテンもどきがフライアッシュを引っ張り湾上へと躍り出た。

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2018.07.21 09:05 東海道本線:早川~根府川 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 青空が覗かぬこの一ヶ月。今年の梅雨は本格的で、延々と降り続く小雨にどんよりとした空に辟易してきた。闇鉄することも考えたが、わざわざ夜の街へと出ていく気分にもならず、カメラを殆ど持たぬまま一ヶ月が過ぎている。

 去年は空梅雨で、本格的な雨が降ることも無くあっという間に梅雨明けしたと記憶している。7月下旬のこの日には肌を焼き熱中症になりながら根府川界隈を歩き回った。そろそろ晴れてくれてもいいんじゃないか?なぁ、お天道様よ…そう思わずには居られない梅雨真っ只中である。

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2018.08.22 18:27 越後線:粟生津~分水 (Canon7DmarkⅡ AT-X 12-28 PRO DX 12-28mm F4 ISO-250)

 新潟県内には多くの「劇場」があるようだ。この場合の劇場は一般的な映画を観るための施設…ではなく、オレンジに染まる夕焼け空を背景に逆光アングルで鉄道を撮影することが可能な場所のことらしい。有名ドコロだと前川劇場がよく知られている。新潟ならではの開けた平地によるアングルの自在さ、そして冬とは打って変わる日本海方向へと沈む太陽の色が数々のVショットを生み出してきたのはないだろうか。

 そのような夕焼け空と鉄道を組み合わせたカットは以前から憧れていたが、物は試しでやってみようではないか。156Mの撮影後に西の空を見てみると、雲がいい表情を示している。これなら行けるかも…適当な踏切を見繕い、広角レンズへと交換した。刻一刻と下がる露出にヤキモチさせられていると、踏切が鳴動し始めた。前景を黒く染め上げてシルエット風にし、背景をメインに仕立てる。私の思い描く「田園地帯の黄昏時」がTokinaブルーで見事に再現されたのであった。

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2018.09.20 12:15 山陰本線:田儀~波根 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-400)

 最近の夏前後の大雨でどこがやられるか……ババを引かされるのはどの地域か、我々一般人には見当もつかない。今年は佐賀県がその貧乏くじを引いて、大洪水に見舞われたのは皆さん御存知の通りだろう。被災地の方々には哀悼の意を表す。

 さて、去年そのババを引いたのが中国地方であった。その中でも鉄道界隈で取り分け話題に上がったのは、天下の太平洋ベルトを担う山陽本線の長期運休であろう。土砂流出の結果、岡山~広島間が3ヶ月の運休。東海道筋の貨物を含め多くがウヤに追い込まれ、JR貨物は必死の振替対応に追われていたのは未だ新しい記憶である。その苦肉の策で繰り出されたのが、山陰本線迂回貨物であった。普段走らぬ鉄路に、貨物が躍り出る……その事実に気分は有頂天。急遽遠征を画策した。結局一度きりしか赴くことができなかったが、それでも忘れられぬ出撃であった。そう、あの9月は、伝説の1ヶ月であったのだ。

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2016.10.15 13:55 いすみ鉄道いすみ線:西大原~上総東 (Canon7DmarkⅡ SP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD ISO-100)

 10月は毎年"燃え尽き症候群”で作品があまり無い。あまりパッとする作品が見当たらなかったので、3年前のいすみ鉄道から掘り起こした。当時現像した時そのままであるが、今見ると構図の甘さや色出しの甘さ、そして撮影地の選定等色々と未熟であったことがよく伝わる。

 初めてデジタル一眼を手にしたのは今から3年前、2016年3月のことである。それまでコンデジ一辺倒で6年間撮り鉄(笑)をやっていたが、合格記念に7D2を購入してもらった。初めて手にした一眼レフに右往左往するばかり。F値ってなに?ISOはどこまで上げていいの?ボタンが多すぎて何すればいいの……右往左往するばかりだった。今この一年の写真を見返してみると殆どが稚拙なものばかりで、勿体ないと思わざるを得ない。

 だがしかし、この7年間も無駄ではなかったのだろう。まず操作を覚え、現像のやり方を学び、機材も少しずつ更新した。結果としてなんとかWeb掲載にも耐えるギリギリのクオリティを出せるようになってきた。だが、まだまだ志半ばである。「求道無限」という言葉があるように、鉄“道”写真の上達に限りはない。燃え尽き症候群になっている暇など無く、ただただ場数を踏む必要があることを改めて肝に銘じたい。

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2017.11.04 15:01 会津鉄道会津線:芦ノ牧温泉南駅 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-1600)

 乗降客数は片手で数える程、ダム湖畔にこじんまりと佇むその駅は“秘境駅”と呼んでも差し支えなかった。その小駅は正に晩秋の時期を迎え、冬支度を済ませていたのだ……


 午前いっぱい只見線や磐越西線を回ったが、会津の紅葉はまだ序盤というところであった。どこに行っても紅葉はイマイチで目を楽しませてくれない。なら標高の高い方面へ足を伸ばしてみようではないか!

 ……という流れだったかは2年前なのでよく覚えてはいないが、なし崩し的に会津鉄道の紅葉を見に行った。撮影地は全く知らぬ存ぜぬであったが、急ごしらえで探して大川ダム近辺の撮影地へと向かった。

 撮影が終わり誰かがお手洗いに行きたいと言い出したのだろう。近くにコンビニは無いが無人駅はある。駅のトイレを借りようではないか、という発想でこの秘境駅に辿り着いた。トイレを借りるついでにちょっと駅の様子を見ていこうか、そうなったのが運命であった。人が造り出したプラットフォームながら、その駅は人の手を感じさせなかった。自然が為すがまま、しんしんと降り積もる落ち葉の絨毯に暫し感動を覚えた。できるだけ落ち葉を動かさぬよう、静かにレッドカーペットを踏み抜いていく。そしてホーム端で待つこと数分、快速列車が積もる紅葉を巻き上げて去っていった。

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2017.12.04 13:05 横須賀線:北鎌倉~鎌倉 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 12月に入ると、紅葉前線はいよいよ東京まで南下してくる。今年の11月は会津に2回出撃しただけというお恥ずかしい対・紅葉前線となってしまった。だが、関東の紅葉は今が盛りである。合間を縫って出撃回数を重ねていきたいところだ。

 さて3年前は鎌倉に紅葉狩りにしに行ったのだが、円覚寺境内が驚きの赤さであったのだ。植わる木の殆どがモミジで、一斉に燃える赤一色に染め上げられていたのである。しかも、この日は189系の鎌倉紅葉臨があるという情報を行きの電車で掴んだ。これは上手く絡めて撮れるのでは……待つこと30分程だろうか、遮断桿が倒れて列車が接近する。さぁどう撮ろうか……悩んだ末に車体を僅かにぶらした。鎌倉800年の歴史を見守る"静"と最後の輝きを放つ"動"の対比になった、そう3年経つ今も思っている。

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2019.01.19 07:23 上越線:六日町~五日町 (Canon5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM ISO-640)

 今年の大本営発表の「暖冬」は例年言われる暖冬の比ではなかった。年末年始になってもクリスマスツリーにならず冬枯れした木々が並ぶ山々。いつもなら一面の雪原となる田園地帯は、刈り取り後の荒廃とした風景のまま。まともな積雪もないまま、年越しした地域も多い。

 しかしいい加減お天道様も不味いと思ったのだろうか。年明けの三が日を過ぎて、やっと冬の便りが各地に届き始めたようだ。だがやはり、深夜になっても去年ほどの突き刺すような寒さは感じられない。過ごしやすい気候であるという点では有り難いのだが、写真という面では全く物足りない。冬ならではの写真を撮る上で、絶対に雪は欠かせないのである。今シーズンの上越南カッターは非着雪で中々表現に苦労している写真が多く見かけられる。北カッターは最低気温が下がらない影響でそもそも運転すらされず、写真云々以前の問題である。果たして、センター試験の時期までに有り余るような積雪は望めるのだろうか。あと2週間弱、天気予報から目が離せない。

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2017.02.16 11:59 釧網本線:塘路~茅沼 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 まだ初雪カット撮影叶わぬ今シーズン。いよいよ時期遅れの大寒気が襲来し、信越高原にも雪が積もったと風の便り…ならぬ小鳥の便りを耳にした。やっと冬の到来かと思うと同時に、余りに遅すぎる冬将軍に文句の一つも言いたくなる。何が何でも新津キハのラストを各所で見送らねばならない。

 さて今回のカットは、もう3年前にもなるサルルン展望台だ。この年のSL冬の湿原号はC11の不調により、シーズン後半はDE10で代走運行であった。駅から1時間ウォーキングし、極寒に凍えながら列車を待つ。SLの風情もまた一考だが、こちらの列車はより国鉄末期な雰囲気が出ている……そんな気もする。ライブロスで在宅引きこもりが続いているが、いい加減今年もマトモな雪カットを狙いに行きたいところである。

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2019.03.09 16:21 東海道本線:早川~根府川 (Canon5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM ISO-100)

 結局今年の2月はあまりの暖冬のせいか、まともな積雪は無くただ関東で冬枯れの景色を拝むだけだった。生憎冬の死んだ山々を撮る趣味は持ち合わせていないので、中々遠征するには至らず。今冬の至上命題であった会津ヨンマルはたった一度きりの出撃となってしまった。多くのVカットを切り取ってこれたのは幸いであったが、正直物足りないと言わざるを得ない。

 だが、もう半ば過ぎ去った季節に思いを馳せている余裕なぞ無い。冬枯れの「まんまるお山に彩りを!」と言わんばかりに、"彩り"前線が既に列島を北上しつつある。河津桜はあれよあれよとシーズンが終わってしまい、2月末のいすみ鉄道では既に菜の花が線路際を彩っていた。ハヤネブのおかめ桜が満開になったという便りも入っており、来週にはソメイヨシノも開花するとか。春の足どりは例年よりも明らかに早い。その流れに置いていかれぬよう、出撃を繰り返さねばならない。

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2018.04.07 11:27 わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線:神戸~沢入 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-200)

 「ヤバい、春に乗り遅れた!」――免許合宿が終わりホームシックになっていた私は、3月下旬を全て在宅鉄で無駄に過ごしてしまった。気が付けば既に4月。この年は桜前線が猛烈に早く、既に関東では散っていた。なんとかして何処かで春を収めたい……その末に出した結論が渡良瀬渓谷だった。花桃のある奥地ならまだ散り始めらしい。クラブツーマサルのメンツを集めて出撃した。

 さてド定番の神戸・花桃並木で客レを待っていたのだが、次に来るのは後追いの普電らしい。取り敢えず撮っておくか、ぐらいののんびりとした構えをしていると、ファインダーがピンク色に染まった。何が起こったか分からなかったが……取り敢えずシャッターを切っておいた。その画面に浮かび上がるのは、風圧で舞い上がった花びらだった。ある意味幻想すら感じさせる1カットにガッツ!この一枚で十二分に価値ある遠征であった。

 さて、今年も駅前の並木や八国山が徐々にパステルカラーで彩られていくのを見て、「風景撮りの季節が始まったな」という実感が湧いてきた。だが、去年末に仕掛けられた"爆弾"がいよいよ国内でも爆発し始めた。度々ニュースで登場する『都道府県の塗り絵』が日を追うごとに色付くのを見せられると、遠征をできるだけ控える必要があるな、と思う次第である。山々や花々には多様なカラーで彩られてほしいが、日本全国を真っ赤に染める必要は無いんだよ……そう嘆ずる4月初旬である。

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2019.05.25 17:23 只見線:会津本郷~根岸 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-125)

 只見線は山あいを走る区間が大半であるが、若松から坂下までは平坦な会津盆地を快走する。寒暖差の激しい盆地気候のせいか、田植えの時期は遅く、収穫の時期は早い。ゴールデンウィークには代掻きもまだされていなかった田んぼに、水が張られ始めたのはこの訪問の前後からであった。

 恐らくまだこの記事を書いている時期は水が張られておらず、盆地では冬の景色が広がっているはずだ。だが、山々は既に芽吹きの季節を終え、瑞々しきグリーンに衣替えを済ませた頃だろう。あっという間に季節は流れていく。行きたいところは全国に無数に点在しており、訪問したいところなのだが……許されない情勢が悔しくて仕方がない。

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2019.06.23 12:54 磐越西線:喜多方~山都 (Canon5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM ISO-160)

 昭和95年。2日に渡って催行し激Vカットを量産した磐越西線12系追っかけツアーの最後は、山都の鉄橋のサイドへと向かった。この日も曇りがちの天気予報であったが、山都界隈だけはワンチャン晴れそうな天気だ!梅雨の季節に晴れるだけでも非常に有り難い展開だし、ここは一発きっちり決めたいところ。だが、今回の編成は4.5両程度の編成長なので、ローアンはイマイチだろう。サイドからぶち抜いてやろうではないか!

 だがこれがまた想定外かな、飯豊の山々は厚い雲に覆われており、それどころか背景の大部分を白く染め上げてしまっている。真上がスッキリとは言わなくてもかなり晴れているのに写真に写る範囲はあまり青くないのが苦いところ。いや、待てよ、折角HMが全く映らず現役時代のいち風景に見えなくも無いんじゃないか……そう考え、二発撃つことを企んだ。まずは定番の望遠いっぱいで編成サイドを切り取る。それから、雲の上辺が入るように標準側に一気に回した。

 鄙びたローカル線に、短編成の客レが走っていた昭和末期~平成初期。地方幹線に設定されている中長距離普通列車は、客車で運行されるものがいくつか設定されていた。小さな山村を巡りながら、都市と都市の間をのんびり走るその列車像。中学生の頃から何度も思いを馳せた、90年代の時刻表の世界が目の前に広がっていることに、一つの味わいを感じずにはいられなかった。

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2019.07.09 21:04 箱根登山鉄道箱根登山線:大平台駅 (Canon5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM ISO-4000)

 一年前のこと。強羅駅でバルブした後、追っかけを敢行した。スイッチバックを含め、地図で見ても分かりやすいくらい"登山"をする箱根登山鉄道であるが、その線形ゆえに平均速度はかなり遅い。車で20分で着く湯本~強羅間を、倍の40分掛けて上り下りすることからも伺えるだろう。これだけ遅いと、中間の大平台界隈でも余裕で追っかけが効く。昼間の箱根からは想像もつかないくらいスカスカの国道138号を快走した。

 だが夜ということもあって、撮影地となりうるスポットはかなり限られる。紫陽花目当てで来たものの、実際のところ大平台のポイントは全て刈られており不可。ポイントも浮かばないし、スイッチバックで交換するお茶濁しに大平台駅へと降り立った。大正に生まれた峠の籠屋がソロリソロリと入線してきて、乗務員交代。そしてまた湯本に向けて下っていく。幾度も行われてきたこの作業の一度を終えると、まもなくモーターを響かせて下っていった。

 箱根登山線は、この3ヶ月後の10月に台風により甚大な被害を被り長期の運休を余儀なくされた。当初は1年の運休が見込まれていたが、暖冬の影響で今月後半の連休から運転再開するという。また再び4元号を駆け抜けてきた峠の籠屋の姿を見られる、そう思うと楽しみにせざるを得ない。

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2019.08.25 07:49 五能線:風合瀬~大戸瀬 (Canon5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM ISO-250)

 紫色に染まった夜明け前の空を期待していたが、宿を出てみれば一面ドン曇りの朝。鰺ヶ沢の始発4連は運用通り回ればタラコ4連だったはずなのに、何故か鱈鱈青青の4連。初っ端からツイてないな……と冴えない表情で呟く。前日晩にこれを狙うためにわざわざ酒田から五所川原まで転がしたのに、これでは目も当てられない。

 とは言えども、わざわざ大枚をはたいてこの津軽の地までやってきたのだ。おいそれと観光に徹する訳にはいかない。気を取り直して、晴れが期待できる能代方面へと南下することにした。国道101号を快走するが、走れど走れど青空は見えてこない。鰺ヶ沢を過ぎて海岸線沿いに出るが、やはり水平線まで続くホワイトグレー。これでは撮っても"非V"だ……と、撮影欲が削がれる。時間は流れど、天気の回復の兆しは見られない。だが、列車は迫る。ならば……Vとはいえぬけれども、"負けない"カットを撮ろうではないか。

 大戸瀬の丘へ上がる道路の中腹に構える。上辺の水平線を切りつつアングルいっぱいに海を広げ、日本海の冷徹さと闘う五能線を意識した。だがやはり夏では物足りなさが否めない……結局のところ、冬の日本海の荒々しさには程遠いのだ。

 鉄道の風光明媚とは、自然との闘いとの表裏一体だ。プリン山俯瞰を初めとして、五能線の風光明媚なカットはこの日の午後に激Vを量産することができた。ならば次に赴くときは五能線の裏の顔、"自然との闘い"をテーマに旅をしたいところである。来年春のリミットまでに、時間が許すかどうか次第だが……。

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2019.09.11 16:35 大村線:松原~千綿 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-100)

 おかしい、運用通り回れば国鉄急行色が入るはずだ。どうしてシーサイドが来たんだ?日付を見間違えたか、それともダイヤグラムの製作ミスか?まず自分を疑うが、どうやらそうではないらしい。そう、"運用変更"である……

 運用通り回れば……というところで苦渋を何度飲まされたことか。直前に発生した差し替えで想像と違うクルマが来ることへの落胆。結果的にアドだったとしても、やはりその場では渋いのだ。去年夏はそういう機会が多かった気がする。このキハ66然り、五能タラコ4連然り……

 などと贅沢を言っていられるのは去年度まで。新型車両の導入でどちらにも引退が刻々と迫っている。キハ66は既に運用がガッツリ減らされており、五能も冬からGV投入で置き換えが始まる見込みだ。最低限ここで国鉄急行色で抑えたかったし、小串郷のインカーブで国鉄重連を抑えたかったのだが……

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2018.10.17 ??:?? 東海道本線:東京駅 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-640)

 バイト終わりに東京駅へと繰り出した。狙うは引退迫る185系の湘南ライナーだ。185系の引退も重要な案件ではあるが、湘南ライナーの終わりは首都圏における原始的ホームライナー文化の終わりを意味していた。ホームライナー的な列車そのものは特急への種別格上げで幾つか存続しており、同じような意図を持った列車は私鉄でも近年かなり増えてきた。その一方で時代の進歩に伴い座席指定の列車が増えてきており、指定数だけ発売して自由に着席をしてよい着席指定券型の発売方式は減少の一途を辿っていた。

 その最たる象徴として個人的に目をつけていたのが、乗車号車の制限による検札の簡略化である。乗車前にライナー券を拝見することで車内における検札を省略し、お客様にくつろいでもらうことが可能になる方式である。バスに似たこの方式は一般運用の特急列車では中々お目に掛かれない。湘南ライナーを象徴するワンシーンではないか……私はそう考えた。

 東京駅に到着し、185の入線シーンを収めてから乗車口付近へと移動する。すると、そこには既にライナー乗車を今か今かと待つ多くのサラリーマンの姿が。ドアコックで指定乗車口を手動で開き、検札がスタート。手際よい手付きで次々とライナー券へ入鋏をし、車内へと乗客が吸い込まれていく。そんな光景を一つひとつ丁寧に切り取った。

 そんなシーンも既に2年前の話である。今同じカットを真似しようとすれば全員が全員マスクマンで……絵になるかといえば、私はNOと答えるだろう。湘南ライナーが消滅するのよりも先に、この非常に興味深い光景が無くなるとは、惜しいことである。

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2018.11.14 11:41 西武秩父線:横瀬~西武秩父 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM ISO-100)

 10月の大雪山系を端に発した紅葉前線は次第に南下を続け、今本州を絶賛南下中である。寒く辛い冬へ向け、最期の絢爛さを提供する木々の姿に魅了されるのは言わずもがな。徐々に染まりゆく通学路の街路樹を見ながら、「ああ、撮りに出かけねば」と思う日々である。

 だが、関東の平野部の紅葉は中々に遅い。鎌倉の紅葉は12月に入ってからがやっと盛りで、今はまだ色づき始めといったところだろうか。たまたま全休の水曜日に当たった一昨年の埼玉県民の日は秩父へと向かった。だが期待していた紅葉は始まりかけといったところで、羊山公園もおおよそ黄色に衣替えし始めた微妙な時期だった。だがよく眼を凝らしてみると、真っ赤に燃え上がる木が数本立ち並んでいる区画があった。よし、ここで勝負だ。1/20でフルスイングで決めようではないか。大体ブレが酷かったが、一枚同調に成功したカットがあった。曇りが幸いして、負け戦を勝ち星へと塗り替えた。

季節を駆け抜ける列車たちの旅は、鉄屑となるその日まで留まることを知らない。その走りを追いかけて、そしてその走りに置いていかれぬように……今日も出かけようではないか。

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2020.12.08 06:03 東海道本線:根府川駅 (Canon5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM ISO-3200)

 衝撃を受けたのはおよそ2ヶ月前のことだった。ふと書店に立ち寄りRailMagazineを手に取る。大した特集してないし、数年前に購読していた頃に比べて被写体が減ってインパクトに欠けるな……と思いつつ読み進めた。ページの後半に入って(今月もつまんねぇな……)と思っていた最中だった。夜明け前の小田原市街地の見開きに目を見開いた。

 RM誌445号、「The Last "LINERS” ~ストライプの旋風 第二章~」というフォトグラフだ。日が昇り始める頃から動き始めた湘南ライナーは根府川で折り返し、鮮烈な光線を浴びてハヤネブを駆け抜けて東京へと向かう。そして日が暮れた夕方に通勤客を乗せて東京を再び発つ……そういう"物語"の特集である。185系の裏の顔である、通勤輸送に徹する姿が刻銘に写されていた。

 湘南ライナーを数年間チマチマと追いかけてきた身としては、この特集に感銘を受けない訳がなかった。裏の顔が分かりやすく映る夕方の東京駅スナップ等、夜便のスナップカットはかなり拵えていたつもりであったが、一方で朝の上り便に関しては鵠沼第二や大磯ストの編成撮りを撮っただけに過ぎない。朝だからこそ撮れるスナップを逃していることに、この特集で気が付かされたのだ。

 そして夜明けが最も遅いこの冬至の時期。ふとこの特集を思い出した。このタイミングを逃せば、もう機会は回ってこない。多分だけれども、一生後悔することになるだろう。居ても立っても居られず、衝動的に小田急地上ホームの急行列車に駆け込んだ。小田原まであと1時間半。流れ行く綺羅びやかな都会の車窓を眺めながら、遠くの海辺の駅が紅く染め上げられる姿を思い描いていた……

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2018.01.25 16:15 小田急小田原線:栢山~富水 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-250)

 午後休の木曜日。いつもどおり部室でマリカに明け暮れようとでも思っていたが、運用をe-ロマで調べるとはこね31号がLSEだという。通常ではVSEが充当される運用であるが検査入場中。なんとLSEが2本フル稼働で往復していたのである。更に運用も都合が良く、午後に新宿から箱根へと下る運用。これなら残存するLSEの2編成、7003×11と7004×11がまとめて迎撃できる!講義終了後に新宿メロブでやが君5巻を仕入れつつ、鈍行で小田原を目指した。

 パニってるかな~と思って富水駅を降りたが、杞憂に終わった。踏切は既に3~4人居て入るのは億劫な感じである。だが柵沿いに前進したローアングルはガラ空き。余裕の立ち位置確保である。五角形の表示灯をできるだけ目立たせないようにしつつ、ストレートっぽく撮るならこれが最適解だろう。山の端に沈むまであと10分。富水ストの限界光線をきっちりと収めきった。

 さて、これから既に3年が経過した。この年の秋にはLSEが引退。そしてまもなく湘南のもう一つの名優、185系踊り子が消え去る。更にそう遠くない未来には箱根の籠屋、モハ1・2形が鬼籍に登るはずだ。やが君もとっくに完結済み。時の流れは余りにも無情である。残酷にも今年は卒論が私を圧迫するが……なんとかして、残り幾ばくもない湘南の名優たちの勇姿を収めに行かねばならない。

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2018.02.24 09:28 中央本線:鳥沢~猿橋 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 豊田で当然のように毎週末に走っていた「山梨富士」と「ホリデー快速富士山」。前身となるホリデー快速河口湖から、中央本線で走り続けてきた189系。それがいよいよ、次のダイヤ改正で運用を終了するという。こんな手軽に189系が撮りに行ける環境なはずなのに、慣れというのは恐ろしい。特急絵幕に比べたら大したこと……とつい思ってしまい、全く葬式をしていなかった。俄に騒がれ始め、取り敢えず2月アタマに下吉田のカーブを履修した。しかも、3月は免許合宿で山形に幽閉される。189の運用を抑えれる最後のチャンスは、この2月最後の土日だった。

 だが朝方に西に向かう運用であるホリ快は光線が渋い。今なら逆光を逆手に取るが、この当時は順光主義者。側面撮り以外あり得ない!と思っていたのが末だろうか。そんな中でもやりたい絵が思いついて、見納めがてら鳥沢鉄橋へ向かった。

 当初の予定では冠雪している奥多摩の連邦と189の後追いを望遠で絡める図だったが、いざ鳥沢で下車すると全くの無雪。代替案として、鳥沢鉄橋の真下へ向かった。腹が立つくらい快晴の青空と絡めたくなる気持ちをフルに押し出して、広角の絵で切り取った。

 そんな冬から既に3年が経過した。あれから更に"被写体の減少"が叫ばれており、私もそれは実感せざるを得ないとは思っている。確かに魅力的な被写体はかなり消えた。しかしながら鉄道"自体"が消えたわけではない。国鉄特急色やブルトレといった"上の上"や"上の中"くらいの、タダの編成撮りですらカッコよく撮れる被写体は殆ど壊滅的だ。が、"上の下"や"中の上"ぐらいの上手く撮れればカッコよく撮れる被写体は、日本国内でも探せば健在である。

 昨今の撮り鉄を見ていると、残り数少ない"上の上"にこだわる撮り鉄が多いように感じる。確かに、その選択肢を選ぶのが最も"楽に""Vカットが撮れて"良いと思う。だが天の邪鬼な私は、その道を歩む気にはなれない。カッコよさランキングの低い列車たちから、カッコいいカットを"掘り出す"道を歩みたいと思っているが……まぁ、"上の下"が消えるまではお預けですね(笑)

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2018.03.02 15:26 東海道本線:早川駅 (Canon7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM ISO-100)

 「遂にこの月が来てしまったか」 そう感嘆せずにはいられない。2021年3月ダイヤ改正。撮り続けてきた185系が、定期運用から引退する。


 2016年3月。一眼を初めて手にして、絞りもピントの知識も曖昧な頃から既に185系の姿が写されていた。ちょうどその頃は塗装変更の過渡期で、湘南ブロック・エクスプレス色からストライプへと徐々に塗り替えが進んでいた時期だった。国鉄型車両に、JRチックなカラフルな模様は似合わない。全編成がストライプに統一されたのは、意外にも2017年と最近であった。運用に振り回されなくなったそれからというもの、機会を見計らっては頻繁に湘南・伊豆方面へと足を向けた。

 正直なところ、フォルムはあまりカッコいいとはいえない。だが、シンプルで優美な塗装、無駄に4灯も設置されたヘッドライト、そして天下の東海道を在来特急最長の15両で爆走すること。国鉄型が未だにこのような活躍をしているのは"奇跡"である、とも聞いたことがある。

 あと2週間ばかりで伊豆の海岸線から去るとは信じがたいが……40年もの間、湘南・伊豆方面への輸送に徹してきた彼らの姿の見納めの時は間もなくだ。

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2020.04.04 14:37 東海道本線:早川~根府川 (Canon7DmarkⅡ EF70-200mm F4L IS USM)

 見込みが甘かった、そう言わざるを得ない。畦道を進みいつもの立ち位置には誰も居らぬ、シメシメ……と思ったのも束の間、左奥の黒の人集りと相対した。

 米神大俯瞰はとにかく素晴らしい撮影地だった。思えば5年程前にネットの海を徘徊していたら一枚だけ見かけたのだ。今はなき関東運用帰りのEF64牽引3075レの国鉄色(しかも懐かしき1019だったか)で写された一枚を見かけ虜になった。低いアングルの俯瞰は幾らでも見かけるが、海が中途半端にしか入らず石橋や江之浦の方がよっぽど良い絵が撮れるので不満だった。そんな最中に見かけたのがその作例。米神のポイントともいうべきS字カーブを雄大に駆け抜ける185や貨物に魅了された。それから幾度となく通うことになった。ここで185系の15両を撮るならチャンスは週に一度。土曜日の17号だけ。何度も曇られ、被られて。渋い思い出も多い。

 さて、最後に桜と絡めて撮ってこの俯瞰を仕上げよう、と考え40分ぐらい前に到着したのだが既にキャパオーバー。この日はゆるふわ鉄のつもりだったので激パ時に必須とも言える三脚がなかったのが困りものだったが、後ろの人と交渉してなんとかアングルを抑えた。氷結大好きな地主の方と共に、朗らかな雰囲気でお目当てを見送った。

 あれから一年。その"お目当て"は東大宮で最期の時を待つばかり。E257も悪くないかも、と思い始めてはいるが……それでも、今の東海道に被写体という被写体は見当たらない。ハヤネブに足繁く通った5年は終わりを告げた。汗ばむ陽気の下、蜜柑山に登った日々が懐かしく思える今日このごろだ。

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2019.05.06 06:36(HTC 10 HTV32)

 2年前のGWは会津にヨンマルとDLを追うことになっていた。だがまだ初心者マークがやっと外れたばかりのドライバー2人で、物事を考えながら運転していたのでは事故りかねない!"追っかけはカツい"と思っていただけに、事前準備が大事……そう考えていた。

 そこで会津地区のダイヤグラムを錬成し、そこに予定した計画を書き込むことで心にゆとりを持たせることにした。その一部が今月のTop Photoである。ボールペンで書かれた線が実際に行動した経路である。晴れの場合と曇りの場合で朝の経路は複数用意していたが、結果的には快晴だったので"飯豊ルート"と書かれているルートを選定。朝は山都の鉄橋で四季島をやってから、上野尻の飯豊山バックで雪山を背に掛けるヨンマルを収め、その後DL追っかけへと計画通り転戦した。

 さて今年のGWはどうだったか。結果から述べると、1週間レンタカーを借りて甲信越をほっつき歩いてた。初日はSLばんえつ物語を追っかけていたが、当時のように行動ダイヤは策定せず。天候に合わせ脳内とGoogleの撮影地集から最適解を探し出し、インプットしたダイヤとクルマの所要時間をもとに追っかけを敢行。国道49号を転がしながら次の撮影地を模索していた。新津~会津若松の往路は6発、復路も5発追っかけることができた。これでも十二分ではあるが、まだまだ効率を上げる余裕もあった。

 もし2年前に同じ芸当ができたら、もっと効率良くヨンマルとDLを巡れたのだろうか。当時は片道で3~4発程度しか撃たなかった。往復であと4発撃てたのでは……?いや、Ifを考えるのはやめよう。あの頃はあの頃で、その時の最善を尽くしていたはずだ。その結果が、この紙に書き込まれたダイヤなのだから。

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2020.06.21 08:17(Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 国破れて山河あり。杜甫の有名な漢詩を用いた諺であるが……静まり返ったこの撮影地に降り立ち、その一文が思い浮かんだ。

 大糸線は数年前まで、初夏の時期になると撮り鉄で賑わう……いや、荒れ果てていた。189系を用いた『ムーンライト信州』が走る土曜日の早朝、信濃木崎の田んぼで地主と撮り鉄が晴れるたびに毎度のようにバトっていた。ある種の初夏の風物詩……そんな様相を呈していたと思う。

 だがかの列車が消え去り、またこの地に平穏が訪れた。撮り鉄が、もしくは地主が破れたのかは分からないが、かの列車が消え戦争に携わっていた人々は去っていった。そんな過去の大地において、せめてその"山河"だけでも拝みに行こうと信濃木崎を訪れた。小鳥の囀る声、涼しげなそよ風が吹く田んぼの畦近くで独り佇む。列車消えて撮影地在り……そんな諺があっても良いかもしれない。そう思った初夏の朝であった。

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2018.07.21 08:41(Canon 7DmarkⅡ EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM)

 この日は久方ぶりの快晴予報。ポケモンGoのコミュニティ・デイでサンダー狩りに誘われていたが、雨がちの天気から一気に夏晴れのギラギラな陽気が照りつける陽気を想像してしまい、心が浮き立って止まなかった。丁重にお断りを入れ、朝方の小田原行き急行でトコトコと揺られていった。

 この日のメインアングルはなみのこ村と江の浦を予定していたが、その合間はどうしようか。乗車電的になみのこ村には間に合わないので、手前でお茶を濁そうか。白糸川橋梁周りを探索するが、防風柵が高くて絵にならなそう……いや、絵にできるかも? 防風柵は意外とスケスケで、ストライプぐらいなら抜けそうだ。国道脇のスロープを上がると、いきなり路地裏感満載ではないか。思ったよりいい絵に仕上がったのではないのか?そう思った熱い一日の始まりだった。

 あれから3年が経つ。今このカットを見返すと、発想は良かったけれど構図が甘いな、と感じる。せっかくならば撮り直しに行きたいところだが、既に185系の定期運行は終了。月イチペースで臨時運行しているようだが、3月のダイヤ改正以来、一度たりともその特徴的な緑ストライプと相対してはいない。今週末、伊豆方面の団臨があるそうだが……既に葬式を済ませたと思っていただけに、未だ二の足を踏んでいる。

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2020.11.21 15:18 五能線:広戸~追良瀬 (Canon 7DmarkⅡ EF300mm F4L IS USM)

 一年が経っても、手にとるように思い出すあの瞬間。自分の表現の極地に辿り着いたのでは……そう思ったあの時。偶然と必然が重なり合い、手に出来たVカットだった――今もなおそう思う。

 「五能線で波カットが撮りたい!」という思いは随分昔から抱えていたと思う。あの鉄道と海岸線の近さは日本でも随一で、そして面するは暴れ海・日本海である。波×鉄道という、他では有り得ないようなカットを実現できる環境である。そしてそのチャンスが訪れた。Gotoで格安で抑えた秋田往復。数日前から、Windyの日本海の波予報は、平常時の青と打って変わって真っ赤に染まった。高さ5m……それなら、ウヤらずに運行してくれるだろう。最低条件は揃った。

 羽田空港より飛行機で秋田に渡り、レンタカーを借り出す。一日目は特にできることもなく、本格的な稼働は二日目から。国道101号を西に向かい、鰺ヶ沢を抜けたときの衝撃は忘れられない。「海が、暴れている……」

 荒れ狂う海を見て決心した。これは今日、絶対に何が何でも決めなきゃいけない。朝からずっと海岸線区間に張り付き、試行錯誤の撮影を繰り返した。昼便では車体に波がアタックするシーンも見られた。そうした祈りが届いたのだろうか。神が微笑んだのは、日没前ラスト電である2835D。予報では全くのドン曇りだったのに、通過前から光が差し込み始めた。そして通過時刻が迫って……ヘッドライトが覗き出た。カーブに差し掛かり、シャッターを連写すると同時に……一瞬の海の華が、咲いたのである。  

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2020.12.08 06:02 東海道本線:根府川駅 (Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 10月に日の出の石橋鉄橋を訪れ満足の行くカットが撮影できたが、ハヤネブでやるべき課題がもう一つだけあった。今度は"それ"を仕留めに再び夜の小田急線を下ることにした。

 快活㋵した明朝。まだ水平線も赤らまぬ朝5時に出区。2ヶ月前の同じ時間帯とは訳が違う。前回と比較しても条件はキツい。いや、だからこそ違う"絵"が描けると信じていた。狙うは夜明け前の根府川折返しのライナー回送の185系。"ストライプの旋風"で扱われていた魅力的な根府川スナップの猿真似をするなら、日の出前のこの駅に日を改めて来る必要があったのだ。

 さて駅前の駐車場に停めてしばらくすると、東の空が明るんできた。東の水平線上は厚めの雲があるが、編成撮りでないからノー・プロブレム。さてアングルを取り繕わねば。模倣して同じカットを錬成するのも目的だが、そればかりでは流石に"猿真似"が過ぎる。何かしら"自分らしい"カットの一つは撮りたい。

 色々風景を見渡しつつ、ふと跨線橋から線路を見下ろす。「ここじゃないか……?決めるなら」――そう、直感的を感じた。根府川駅の二大特徴である跨線橋と海を両方映すことができ、なおかつ昼間だと背景に映る保線小屋が黒く潰せる。先客と交渉しつつ立ち位置を練り合わせ、足りぬ身長につま先立ち。ふと遠くを眺めると、4灯のヘッドライトがゆっくりと近づいてきていた。

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2022.01.05 15:29 富山地方鉄道立山線:千垣~有峰口 (Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 今シーズンの年末年始は旅行尽くし!年末に油教ことENEOSカーシェアのキャンペーンで大鐵&伊豆方面をたっぷり観光してからの奈良・東大寺で年越し。楽の快速急行から伊勢ひのとりに乗り継いで朝熊山で初日の出、というクラブツーマサルご自慢の弾丸行程であったが、これで終いにはならない。幹事を突放して名鉄の高速バスへ乗車。富山へ異動となった同期宅へと転がり込み、のべ6日間滞在した。年末年始限定の地鉄フリーパスを利用すれば効率よくレッドアローその他諸々を一網打尽にできるのでは? 数日の滞在だとクソ天気を引いてどうしようもないだろうが、一週間も滞在すれば条件の良い日の一日ぐらいはあるだろうと考えていた。

 そして条件の良い日を外へ、ドン曇りの日は桃鉄をプレイし過ごして5日目。Windy先生の予報は「可」を示した。どうやら朝方までそこそこの雪が降るという予報であった。これなら雪と闘う列車たちを撮れるだろう。1day保険に加入し、車を転がしていざ立山へ!

 慎重に転がしていくと、岩峅寺を超えて一気に雪の粒が大きくなる。これは期待できそう!と思い、各所で朝の便の撮影に勤しむ。――気がつけば10時、雪が止んでいるではないか。いやよく見渡すと、望外なことに青空が垣間見えるではないか。その後みるみる内に広がっていき、芦峅寺周辺だけ快晴という意味不明な気象条件。いくら「山の天気は変わりやすい」と聞くけれども、ポジティブな意味で変わるとは……年明け早々運を使って先が心配である。その後も安定して晴れたり曇ったりしつつ撮影を敢行。さて、15時だしそろそろ〆ようか……と沢中山に構えていたところに、レッドアローの登場。追っ掛けずには居られず、気がつけば立山へと舞い戻っていたのであった。

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2021.02.21 07:40 伊豆箱根鉄道駿豆線:原木~韮山 (Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 185系が伊豆半島から消えて一年近く。もう伊豆半島に赴くことは無いだろう、と思っていたが……案外そういうわけにはいかないことに最近気付きを得た。まず挙げるは、東京から近さに対するロケーションの良さ。185系で散々堪能させられたが、やはり伊豆急線のロケーションが飛び切り格別。あの景色を眺めるためだけに、年末にふと友路岬を訪れた。久々に岩の上で"波の詩"を聴き、素晴らしいお立ち台であるな、ということを再確認させられた。

 そして、伊豆半島を巡る魅力的な被写体。緑ストライプが消えてしまったのは痛いが、未だなお伊豆夏東急は健在。駿豆には西武車が走っているし、E257-2000も案外悪くない。そう、未だ伊豆の地は死んではいない! 「上の上」クラスの被写体が消えただけで、「上の下」~「中の上」クラスの被写体はまだまだ健在。(撮り鉄的に)訪れる価値はまだまだ潰えてないのだ。だが、一つだけお願いがあるとすれば……リゾート21の塗装だけはどうにかしてほしい。本来「上の中」クラスの被写体が、「下の下」クラスに降格処分になっているのだけは見ていられないのである。

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2021.03.23 17:22 富山地方鉄道本線:越中荏原~越中三郷 (Canon 5DmarkⅣ EF300mm F4L IS USM)

 ダイヤ改正を経て185消滅ロスに駆られていた私だが、1週間もカメラを触っていないとどうしても体が疼いてしまう。折角空けておいた連休。特割ワンウェイを漁っていると……金沢→東京が4日で5500円? これは拾うしかないだろう。金沢行きの豚箱夜行の豚となり、日蓮宗金沢駅前店に開店凸して出発。バリ晴れの富山を目指し東へと針路を取る。関東の冬晴れと言われても違わない快晴っぷりに驚嘆。慣れぬ富山の道を右往左往。黄砂も無くスッキリと晴れた一日の〆は、地鉄の定番・常願寺川と行こうか。この時期では側面光は皆無なので、剱岳と車両の顔面を狙い撃ちする望遠アングル一択。まずは京阪を切り落とし、次はいよいよ西武旧レッドアロー。緊張が全身をひた走る。

 あまりの激ウマ戦果に感銘を受け、この一年は気軽に北陸へと足を伸ばした。富山での滞在日数は2週間以上。同期のイ飯君が転勤になりある種の"別荘"として居候させてもらえたのは非常に有り難かった。おかげで手にできたVカットは幾枚ともしれない。185系は去れども、北陸の老雄たちの活躍は未だ留まるところを知らない。

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2021.04.24 西武池袋線:武蔵横手駅 (Canon 5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM)

 桜前線はあっという間に北へと去っていき、2週間の休息を置いた4月下旬。奥武蔵はパステルグリーンに彩られた。さて、どういったカットを練り上げようか、イメージを膨らませつつ飯能駅へと降り立った。落ち着いた色合いながら鮮やかともみえる不思議な期間限定の彩色に、脳内の妄想Vカットは膨らむばかり。早速西武秩父行きの車内へと乗り込んだ。

 最初のカットは武蔵横手駅の鉄橋が良いだろうと思い、山峡の入り口の駅へと降り立った。冬には見掛けなかったハイカーが沢山下車するのを眺めていると、「ああ、春なんだなあ」と痛感させられる。「あ、この景色、撮りたいな」、そう思うと同時に手が動く。そして一枚、構内踏切を渡るハイカーの姿を狙い撃った。

 季節は巡り、また新緑の季節がやってきた。今年も朝から新緑カットを狙いに秩父路を訪問したが、どうにもイメージが膨らまず、日没前に撤退を余儀なくされた。やはりイメージだけでなく、撮影技法的に殻を破る必要があるのだろうか……何度訪問しても考えを深めさせられる西武秩父線。奥深いと思わずにいられなかった。

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2021.05.01 いすみ鉄道いすみ線:総元~西畑 (Canon 5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM)

 人工物が見当たらない原野を真っ直ぐに貫き、ひたすらに果てへと続く鉄路――私が持つ北海道の国鉄像を、ここ千葉県でも撮れないだろうか? ふと、思いつきで踏切に立ち寄った。

 正直私自身の北海道の知見についてはあまり多くない。実際にこういった鉄路があるのかこういった風景があるのかも分からないし、そもそも植生も全く異なっているだろう。だから、この妄想はただの"偏見"なのかもしれない。けれどその"偏見"が写真として画像に起こせるなら……チャレンジしてみる価値はある。上総中野で折り返してくる上り大多喜行きのキハを待つことにした。まもなく、踏切が鳴動し始めた。

 まずは踏切横で来る列車を面縦。そして周囲の状況を確認しつつ、遮断桿が空くと同時にセンタリングをしっかりとして……キハ52のケツを切り取る。覗いたファインダーには、北の原野をコトコトと往くキハ20の姿が映し出されていた。きっとこのような風景があったのだろう、と妄想の世界にしばし浸るのだった。

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2020.09.27 いすみ鉄道いすみ線:城見ケ丘~上総中川 (Canon 5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM)

 いすみ鉄道のキハ急行に肥薩線応援でHMが付くと聴いたものの、そこまで興味が湧かずに迎えた運行初日。まぁフラミンゴとか房総の休日より少しマシだろ程度に思っていた……が、絵柄入りのカンはまた別の風格を醸し出していた。ゴハチの丸っこいデザインにクソデカ缶。これはたまらん! と撮りに出かける羽目になったのだ。

 さて、この日はドン曇りだ。面縦・望遠・ド広角・流し。この4種を仕留めれば十二分の成果に仕上がるはずだ。2号で台河の面縦、次に4号の西畑でド広角、追っかけて大多喜で望遠のカットを収めた。さて、残る課題は流しのみ。大多喜で弟を突放した後に上総中川の線路際に構えた。ドデカイHMを強調するように列車の頭に追従しながらカメラを振り回す。仕上がりは理想通り。晴れカットは無くとも、欲しかった4種のカットを手に入れることができた。

 さてはてそんな時期から既に2年。いすみ鉄道はどうなっただろうか。読者の皆様ならお分かりだろうが、常にきな臭い話ばかりが漂い、更には虎の子キハの片割れを潰すときた。本数も激減した今更になって、わざわざ近寄りたいところではないと思う次第だ。かくいう私もここ一年は小湊に出向くことはあっても、いすみまで赴いた回は無かった。結局のところ、ワンマン社長が居なければ鉄オタホイホイは無理なのか、それとも地域的に後進が上手く育たなかったのか、はたまた後任の社長がダメダメだったのか。10年後のい鉄とトキ鉄を姿を見れば一目瞭然なのだろう。が、今はまだ断定しきれないというのも実情だ。

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2021.10.30 いすみ鉄道いすみ線:西畑~上総中野 (Canon 5DmarkⅣ EF300mm F4L IS USM)

 毎月?恒例の表紙画は2ヶ月連チャンでいすみのキハ28の紹介である。だが今月は前月の急行「くまがわ」からうって変わり、急行「いよ」の紹介だ。国鉄型気動車の良いところは、ヘッドマーク次第でどこの地方へも行けることだ。それを大いに活かしているのが古竹"政権"の傾向である。

 前政権ではヘッドマークの予定を予告しておらず、ガチャになっていたのが渋かった。だが最近ではブログで一ヶ月の予定を記載するようになっており、非常に訪れやすくなったのは評価したい。だがその一方で、肝心の列車が減便の一途を辿り、追い打ちを掛けるようにキハ28は余命一ヶ月だ。いよいよ終わらさせられるのか……と思う次第である。

 かくいう私も、気になるヘッドマークが装着されたときは近場ということもあり赴いていた。急行くまがわ、いよ、そして祝日のスッピン……そして今月は取り逃していた砂丘が装備されると聞き、小湊鐵道と併せて葬式鉄をさせてもらった。急行砂丘は時刻表で散々眺めていた列車だけに、拝めたのは幸いであった。

 だが、今年のダイヤは例年にも増して効率が非常に悪い。走行の時間帯がより早まった上に、国吉停が10分から5分に減った。結果、ただでさえ低かった効率が更に低下。一日3~4発が限界というザマである。更に引退が迫っていることもあり、混雑に拍車がかかる始末。最後の一ヶ月だけでも増発はできないのだろうか。まああの鉄道に期待するだけ無駄だろうが、せっかくの引退興行だ。少しばかりは考えてもらいたいところである。

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2020.11.22 五能線:陸奥沢辺駅 (Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 二年前、遂にキハ40がJR東から消滅すると聞き葬式がてら秋田へと頻繁に向かっていた。朝から夕方まで撮影に奔走。一本たりとも逃さぬよう、限られた時間で可能な限り戦果を挙げた。その戦場は当然日が上がらぬ夜も含む。深浦の海岸で日没を見送ってから南下。十二湖から弘前終をひたすら追っ掛けた。

 相手は各駅停車のヨンマル、一方でこちらは信号のない立派な国道。たった2~3駅走る毎に追い抜いて撮影を敢行することができた。その道中、陸奥沢辺という小さな駅に立ち寄った。駅舎が低い位置にあり、階段を登って駅があるというスタイル。これをどうにか絵にしなければ……というわけで、到着後瞬発的に構図を組み上げた。まもなく、列車が到着。低速シャッターでタラコを流し撮りした。

 その後、2021年3月を以て秋田ヨンマルは消滅。これでもう遥か西日本に行かねば撮れなくなったか……と思っていたが、写真のキハ40-2019含めた3両が小湊鐵道へ電撃譲渡。昔よりも圧倒的近所で比較的原型なヨンマルを拝めるとは、この世の中何が起こるか分からないものである。またこの構図を思い出しながら、海士有木駅の階段を撮ろうかな……そう思う今日このごろである。

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2019.12.10 三岐鉄道三岐線:丹生川駅 (Canon 5DmarkⅣ EF300mm F4L IS USM)

 この日は三岐鉄道の復刻カラー3編成がフル運用。西武のツートンのイエロー、そして三岐線復刻カラーの三色が行き交うカラフルな一日だった。豚箱夜行で名古屋に乗り付けて早速桑名へ。時宗タイムズカーシェアを借りて保々のインカーブへと乗り付けた。冬場の太平洋側とあって快晴下連戦連勝だったが、昼頃になると雲が湧いてきた。

 だが天気にヘコたれず、予定通り計画を進め丹生川駅へ。運用通り回ればイエローとツートンの交換が見られるはずだ。駅南の踏切で構え待機。まもなくツートンが先に入線し、その後真横の踏切が鳴動。西武カラーの並びを拝むことができたのであった。

 あれから3年。そろそろ行きてえな、でも休日だし……と何度考えたことか。最近も三岐に行きたいと思う時はあるが、現在イエローの805Fは入場中。効率が悪いからいいや、と二の足を踏んでしまっているが……一つ欠けようが魅力的な被写体だらけの路線である。行く価値があるのではないか?と思う自分も居るのである。

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2022.02.28 中央本線:田立~南木曽 (Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 中央西線のロクヨンを追った昨年初頭。当時は1日に5往復もロクヨンが運行されている天国であり、重連総括運用も多数。バカ停を駆使して上手く追っかければ数多くの爆アドが得られる路線であった。だがいよいよこの"天国"の崩壊のときが来てしまった。

 12月。青い鳥のTLを眺めていれば、愛知に送り込まれていたEH200による中央西線の試運転が始まったと流れてきた。次のダイヤ改正である程度スリッパに置き換えられ運用が減るのはほぼ間違いないだろう。2021年ダイヤ改正でも関東運用が無くなり運用削減が甚だしいが、2022年も大鉈が振られるのは目に見えてきた。完全なる葬式鉄のムーブであるが、数日間に渡って西線貨物の撮影を敢行した。

 この日は午前の6088と8084を追っかけてから小休止。天気は巻雲が多少出る程度の収まり具合。構想していた絵を仕上げるため、田立のカーブへと訪れ太陽方向へとカメラを向ける。通過が近づいてくるとタイミングよく薄雲を噛んだ。これは僥倖!カメラのダイナミックレンジギリギリを攻めた設定で切り落とす。木曽路への入り口、山の立体感……やはり"逆光は勝利"なのである。

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2021.03.31 西武秩父線:吾野駅 (Canon 5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM)

 『――さらば、青春の正丸峠よ』

 この春、大きな転換点を迎えることとなった。齢幾ばくか、西武鉄道沿線民として長らくやってきたが、遂にこの地を離れることとなる。

 やはり私の鉄道ファンとしての原点は、西武鉄道であった。黄色い電車ばかりで単調な路線に見えて、実にバリエーションが豊か。レッドアローや卵、レオライナー、新101系……多彩な顔ぶれの中でもピカイチに惹かれていたのは、飯能駅の中線に停車する4000系であったように思う。山へ遠足へ向かうとき、秩父へ遊びに行くときに必ず目にするライオンズカラー。そしてクロスシートでプチ旅気分。模試の帰りに急いでホームに向かえば見れた旧幕快速急行池袋行き。小さい頃から様々な思い出が詰まった電車である。

 年月を経て、ある程度撮り鉄の経験値が溜まってきた三年前、この列車が多く走る西武秩父線を"自治路線"へと指定。以降、この沿線へとかなり通い詰めた。季節に乗り遅れぬよう毎月のように奥武蔵へ。真夏の清流、色めく晩秋、極寒の白……様々なシーンを駆け抜ける4000を撮影し、腕を磨いてきた。転属後も時折訪れることになるだろうが……今までほど頻繁に訪れることはできないだろう。そう、これはさよならの季節なのだ。正直まだ撮りそびれたアングルは多くあるが、これにて私の西武秩父線・第一章は終幕である。「正丸峠よ、数々の名場面を魅せてくれてありがとう――この春、私は西武秩父線から卒業します。」

2023.04.09 富山地方鉄道立山線(Canon 5DmarkⅣ EF70-200mm F4L IS USM)

 西武秩父線でやれることの8割をやった――だがしかし、まだ西武車両でやりたいカットは山ほどあった。その中でも最も課題を多く抱えているのが富山地鉄であった。美しい立山連峰に、それを背に縦横無尽に走り回る新旧のレッドアローたち。おまけに、メシは旨いし四季の表情も豊か。日本全国巡ってきた中でも有数の魅力的な土地である。そう思った私はこう思ってしまった――「折角ならここに住んでみてえな!」

 そんな(割と)軽いノリと奇妙なご縁のお陰あって、富山に引っ越して就職してしまった。全く後悔は無いし、東京住みとは比較にならないくらい充実した日々を送っている。そんな新人研修の最中、新居から抜け出して桜詣でを楽しんだ。残念ながら狙い目のレッドアローは捕まえられなかったが、それでも充実した戦果。車で30分のところに素晴らしい景色が満載の富山で、いつまで飽きずに暮らせるだろうか。この地で楽しみが尽きずに人生を全うできる未来を描いて過ごしていきたい。

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2023.07.02 三岐鉄道三岐線(Canon 5DmarkⅣ EF24-70mm F4L IS USM)

 遂に念願のマイカーを手に入れてからというもの、毎週末が楽しみで仕方がない。あっちへこっちへ自分の"友"と共に大爆走。まだ納車から二ヶ月あまりであるが、既に走行距離は7000km間近となっている。まだまだ留まるところを知らぬカローラ・フィールダー君と共に、未知の道へと果てしなく走っていきたい。

 そんな気分ウッキウキで先週出掛けたのは三岐鉄道。数年前に訪問して以来、念願の再訪となった。残念ながら赤電は入場中であるものの、西武イエローは今年春に長きにわたる検査から出場し、貸切・定期共に美しい姿の披露していたようである。早朝から夕方の入庫まで、緑に彩られた沿線で"夏"をイメージしたカットをひたすら量産し続けた。三岐鉄道の四季も丁寧に追いかけていきたいところである。